「【前編】「GIGAスクール構想」に取り組む中で直面した課題」から読む >
前例なき巨大プロジェクトはいかに設計されたか
児童生徒だけで約18万人、教職員を含めて約20万人のユーザーが安全かつ快適に利用できる次世代教育情報ネットワークの構築。前例のない規模のシステムを、大阪市は日立とどのように設計したのか。その核心には、既存資産を最大限に活用しつつ、将来の技術進化にも柔軟に対応できる先進的な設計思想があった。その舞台裏とは。
前編に続いて、改革の旗振り役として構想を描いた大阪市教育委員会事務局(2024年当時)の河野 善彦氏と、日立製作所(以下、日立)の営業 山田 恭平、SE 芝野 功一郎に話を聞く。
教職員と児童生徒が安全につながるアーキテクチャー
―― 前編では大阪市が抱えていた課題と、日立との取り組みに至った経緯、プロジェクトの背景にあるビジョンについて伺いました。では、日立はどのような思想で教育ネットワークの設計に臨んだのでしょうか。
芝野
河野さんの構想と同じように、これまで「学習系」「校務系」に分かれていたネットワーク構成(詳細は前編を参照)を廃止して、ゼロトラストの考え方をベースとしたシンプルな構成に変えるという方向性を定めました。
設計における最大の基本方針は、大阪市がすでに保有していた「Microsoft 365 A5ライセンス」をセキュリティ基盤の核として、その価値を生かすことでした。
河野氏
このライセンスをすでに持ってはいたものの、目に見える形ではエンドポイントのセキュリティ機能ぐらいしか使えていませんでした。さまざまなサービスを提供する「Microsoft 365 A5ライセンス」を活用して、強固な基盤を作りたいという思いがありました。

芝野
このライセンスにはID管理、アクセス制御、エンドポイント保護などゼロトラストを実現させるための高度な機能が数多く含まれています。これを核にすることで、セキュリティを担保しつつ、生徒の機微な情報を含めたビッグデータ分析ができるようになるなど、教育DXの推進が期待できます。ストレージにも余裕があり、年々増加するデータ量にも対応可能だと判断しました。
―― ただ、クラウドに重要な校務系データを置くことにはリスクも伴いますよね。
芝野
そこで導入したのが「データのラベル化」です。重要度に応じてファイルを自動で暗号化し、万が一データが流出しても中身を解読できないようにする。この「データそのもの」を守るアプローチで、利便性とセキュリティを両立させました。ただ、Microsoftの機能だけでは不十分な領域もあります。特に膨大な通信を安全かつ効率的に処理するSASE/SSE*1については、専門ソリューションで補強する必要がありました。
*1 SASE(Secure Access Service Edge)/SSE(Security Service Edge)
河野氏
今回のシステム構築に関わる調達仕様書には、もう一つこだわりを盛り込みました。それは「アジャイル的な運用思想」です。クラウドサービスの世界は日進月歩です。Microsoftが今後どんな新機能を提供してくるか、私たちには予測できません。
そこで、ウォーターフォール型の開発手法のように「当初設計に固執する」のではなく、新機能や状況の変化に合わせて柔軟に構成を変えられる運用を求めました。契約の範囲内で変化を許容し、常に最適な最新技術を教育現場に届けられる枠組みをめざしたのです。
芝野
これだけの幅広い分野のインフラ基盤は導入後の運用こそが重要です。日立には大阪市長部局を中心にさまざまな案件での実績があり、設計から運用まで一気通貫で対応できます。この「総合力」こそが、日立の強みだと思っています。
大阪市と日立、続く「信頼」の背景にある「ノウハウ」
河野氏
日立さんとの付き合いは、私が市長部局にいた2011年からでしたね。当時、総務省が指示した三層分離型のネットワークである「LGWAN接続系ネットワーク」の更改などに対応いただいたので、インフラ構築能力の高さはよく知っていました。(前編で)本プロジェクトのパートナー探しに苦戦していたとき「手を挙げてくれたのが日立さんだった」と言いましたが、実は教育委員会でこの課題に直面したとき真っ先に思い浮かんだのが日立さんだったのです。
芝野
そう言っていただけると大変嬉しいです。私も当時は、大阪市のLGWAN接続系ネットワークのプロジェクトリーダーを務めていました。そのときに、「大阪市の業務プロセスや行政インフラに求められるものは何か」を深く学んだ経験があったからこそ、教育分野での仕事が初めてでも「市役所の仕組みを教育分野に展開する」という視点で課題の本質を捉えることができたのだと思います。

河野氏
最も重要視したのは、大阪市として「やらねば」と考えていた「徹底した構成管理」でした。これはまさに、日立さんが市長部局で実現させていたことです。
日立さんの教育分野における最初のチャレンジの舞台が大阪市のような大規模ネットワークだったわけですから、そこに踏み込むという決断に至るには、日立さんの覚悟があっただろうと想像しています。
山田
前編で触れた通り、社内の説得は困難でしたが、乗り越えられたのは「子どもたちの未来に貢献したい」という私や芝野の覚悟が、「社会課題の解決」という日立の使命と合致したからです。実は私は、教員を志望していた時期もあり、日立に入社してからも教育に携わりたいという思いがありました。このお話が持ち上がる前から教育委員会の方と情報交換させていただくなどしていましたので、本プロジェクトにかける熱量は当初から非常に高いものがありました。

芝野
当時、社内でも市長部局以外の周辺領域に「市役所での管理手法を横展開できないか?」という議論が上がっていて、それがちょうど重なったという側面もありましたよね。「教育分野は未経験でも、市役所のインフラ管理のノウハウを学校に展開すれば解決できる」。そう確信できたからこそ、お引き受けできたのだと思います。
2027年10月稼働に向けたプロジェクトの“今”――巨大チームを動かす「人間力」
―― 現在、プロジェクトはどのようなフェーズにあるのでしょうか。また、この先の課題は何でしょうか。
河野氏
今は、既存のネットワークから新しいゼロトラスト環境への移行を進めている段階です。最終的なゴールは2027年10月の本格稼働です。ここで、これまで分かれていた「学習系」「校務系」のネットワークが完全に一本化され、教職員がIDを使い分けることなく、全てのシステムに安全にアクセスできる環境が完成します。
芝野
プロジェクトマネージャーとしては、利用者のことを考えながら設計することをこの先も意識したいです。やはり先生は授業が一番重要な職務です。そこの負担をいかに減らせるかという視点で常に考えています。運用面も今後の大きな議論のポイントになります。学校には独自の文化やルールがあるので、それらを深く理解しながら慎重に取り組んでいます。
その「学校ならではの難しさ」に直面しているのが、まさに現在進行中の移行設計です。今回、既存の仕組みからの切り替え作業が何回か入ります。しかし平日の日中帯は、先生方は授業をしているので移行作業への協力を得るのは困難です。その点が、これまで手掛けた市役所のシステムとは異なる部分だと痛感しています。
河野氏
おっしゃる通り、現場の先生方に理解していただくプロセスは重要ですね。移行期には不便をおかけするかもしれないけれど、「こういう未来が来る」というビジョンを提示し、協力を仰ぐ必要があります。ただ現実には、ITの論理と教育現場の事情、その双方を理解してうまく調整できる人材が足りていない。それも現在の教育現場では課題です。
芝野
そうした現場の調整も含め、プロジェクトを円滑に進めるために大阪市側の仕様を参考にチーム体制についてもオーダーしていただきましたね。その結果、200人規模の現在の体制が出来上がりました。規模もスコープも巨大なので、その中で「クラウド」「ネットワーク」といった6つほどの専門チームに分けつつ、全体を横串で管理できるようにしています。これだけのチームを組めるのは、日立という組織の体力があってこそだと自負しています。
河野氏
この規模になると、役割分担が明確でないとプロジェクトマネージャーに負荷が集中してプロジェクトが頓挫すると考えました。大手のSIerであれば大丈夫と思っていましたし、もちろん日立さんなら、それができるという期待もありましたしね。
―― 今回のプロジェクトでは「人」の要素も大きかったと聞きました。
河野氏
そう、結局最後は「人」なんです。日立さんは、課題をひとごとではなく「自分ごと」として捉えてくれる。私が困ったときも「じゃあ、どこをゴールにしましょうか」と常に寄り添って、解決策を一緒に考えてくれるのです。入札という公平な手続きの結果、始動したプロジェクトではありますが、私個人としては彼らのそうした姿勢が大きな安心材料であり、心のよりどころであったことは間違いありません。
芝野
ありがとうございます。私も常々チームには「自分ごとのように考える」重要性を伝えているつもりです。難しい要求があっても、できない理由を探すのではなく、持ち帰って「どうすれば実現できるか」を考える。その姿勢が、日立の企業文化として根付いているのかもしれません。
未来の子どもたちのために
―― 最後に今後の展望をお聞かせください。
河野氏
子どもたちが教科書やノートと同じように、ICT機器を「文房具」として当たり前に使いこなす環境を実現させること。それが重要な第一歩だと考えています。学びの日常風景としてデジタルが溶け込んでいる教室。そこから、子どもたちの新しい発想や新しい学びの形が生まれてくるはずです。
芝野
子どもたちがデジタルを「当たり前」に活用する日常、これを盤石なインフラで支えることこそ私たちの役割です。今後は、大阪市での知見を成功モデルとして他の自治体にも展開し、ここ大阪から日本の教育DXを前進させる力になりたいと考えています。
山田
教職員や行政の方々、そして私たち事業者。立場や責任は違えど、関わる全員が「日本の未来のため」「良い教育のため」という目標を共有し、一丸となれるのがこのプロジェクトです。大阪市のこの先進的な事例が、日本全体の教育改革をリードする起爆剤になることを期待しています。

河野 善彦(こうの よしひこ)
大阪市こども青少年局 企画部 総務課 兼 大阪市福祉局 生活福祉部 福祉システム課 担当係長
入庁後、システム関連とは疎遠な事業部局へ配属。
2011年度 総務局(現デジタル統括室)へ配属。ネットワーク運用から担当をスタート。
2016年度 総務省が指示するLGWAN接続系ネットワークの構築の主担当となる。
2019年度 教育委員会事務局へ配属。文部科学省が提唱する教育情報ネットワークセキュリティガイドラインに沿うネットワーク構築を担当。構築後は最新のセキュリティガイドライン内容を盛り込んだ次期ネットワーク環境の構想を検討。
現在、こども青少年局にてデジタル庁等が推し進める標準準拠システム・特定移行支援システムを担当している。

芝野 功一郎(しばの こういちろう)
株式会社日立製作所
公共システム営業部 自治体ソリューション第三本部 西日本公共システム第一部 主任技師
入社以来、自治体向けインフラ基盤の設計構築および運用保守を担当。ネットワークからクラウド、セキュリティに至るまで幅広い分野のインフラ基盤案件に従事してきた。2016年度には大阪市LGWAN接続系ネットワーク構築プロジェクトのPL(プロジェクトリーダー)を、2020年度には同市のネットワーク再整備プロジェクトのPLを担当。現在は、大阪市教育委員会ネットワーク再構築プロジェクトにてPM(プロジェクトマネージャー)を務めている。

山田 恭平(やまだ きょうへい)
株式会社日立製作所
関西支社 公共システム営業部 第一グループ 部長代理
入社以来、日立製作所関西支社で自治体向けのシステム営業を担当。2016年度、海外における社会イノベーション事業の営業として、1年間の日立アジア(ベトナム)社への出向を経て、関西支社に帰任。2017年度より現在に至るまで大阪市を担当。デジタル統括室、教育委員会事務局を中心とした大阪市に対するICT、DX関連ソリューション提案に従事。
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