*1 VCB:Vacuum Circuit Breaker(真空遮断器:受変電設備の配電盤内の主機器のひとつ)
保守現場に欠かせない経験に基づく判断
——今、日立パワーは日立 AISSビジネスユニットと連携して保守部門へのAIエージェント適用を積極的に推進しています。その背景にどのような課題があるのか、日立パワーで保守の現場に携わる仁禮さん、教えてください。
仁禮 和典(にれい かずのり)
株式会社 日立パワーソリューションズ
グリッドソリューション本部 グリッドサービス部 受変制御サービスグループ
グループリーダー 主任技師
仁禮
私たちは、ビルやプラント、社会インフラの受変電設備の保守を数多く手がけています。作業そのものは計画書・チェックリスト・マニュアルに従って行いますが、設備の経年劣化は設置環境によって大きく異なり、紫外線や気温、塩害などの影響が複雑に重なり合うため、トラブルのパターンをあらかじめマニュアルで網羅することは困難です。
そのため現場では、経験に裏打ちされた判断が重要になります。たとえばPLC*²を再起動する場合でも、熟練者なら「この設備は屋外の高温環境で長く使われているから、コンデンサが劣化しているかもしれない」と考えます。コンデンサが劣化していると、再起動をかけてもPLCが正常に立ち上がらないことがあります。そのため事前に状態を確認するのですが、こうした判断は経験に基づくもので、若手にはなかなか見えにくい部分でもあります。
*2 PLC:Programmable Logic Controller(設備や機器を自動制御する産業用PC)
——そうした受変電設備での保守における判断ミスは、その先にいる利用者への影響を考えると、小さなものでも見逃せませんね。
仁禮
たとえばビルであれば照明、空調、エレベーターなどビル機能が停止するかもしれませんし、製造工場であれば生産ラインが止まり、事業活動そのものに影響が及ぶ可能性があります。さらに、鉄道の受変電設備でトラブルが発生すれば電車の運行に支障が出るかもしれませんし、浄水場であればポンプが停止し、給水に影響を与えることも考えられます。
また、作業者自身の安全も守らなければなりません。受変電設備の保守では電源を遮断して作業を行いますが、設備内には残留電荷が残っていることがあります。そのため、検電をはじめとした手順を設備に応じて確実に実施しなければ、感電事故につながる危険性があります。
私たちの作業は見落としが許されませんが、機器ごとの劣化やトラブルの兆しを見極めるには経験が必要です。この熟練者と若手の知見の差をいかに埋めていくかが、現場の大きな課題だと感じています。
めざすのは、現場自らがAIをつくること
——技術継承という課題に対して、日立パワーでDX推進を担当されている林さんはどのような危機感を持っていたのでしょうか。
林 秀樹(はやし ひでき)
株式会社 日立パワーソリューションズ
デジタルサービス戦略推進室 室長 博士(情報科学)
林
私たちがいま強く危機感を抱いているのは、熟練者が長年培ってきた技術や判断の勘所を次世代へ継承できなければ、将来的に事業そのものの持続性にも影響しかねないということです。
しかし、保守の現場では、バブル崩壊後の採用抑制や設備投資の停滞などの影響を受け、熟練者層が厚い一方で、その知見を受け継ぐ中間層が十分に育たないまま現在に至っています。近年は若手の採用も進んでいますが、熟練者と若手をつなぐ人財が不足し、技術継承が思うように進まない状況があります。しかも、熟練者層は世代交代の時期にあり、技術継承に取り組める期間は限られています。
そこで私たちは、現場の熟練者の知見を組織全体で共有・活用できる環境づくりを、AIを活用して本格的に推進することにしました。
私たちがめざしたのは、AI開発のすべてをAIエンジニアやデータサイエンティストなどの専門家に依存するのではなく、現場が自らAIを試行し、課題解決を推進する、いわゆる「AIエージェントの民主化」です。これまでにも私たちは多くのAI開発に取り組んできましたが、失敗もありました。その過程で感じたのは、AI開発を現場が人任せにすると、自分たちの取り組みとして捉えにくくなり、結果として業務に定着しにくいということでした。
いまやノーコードでAIエージェントを開発することができる時代です。私たちは「AIエージェントの民主化」を前提に、日立 AISSビジネスユニットの朝木さんと暗黙知を資産化するためのAIについて議論を開始しました。
きっかけはGeminiのマルチモーダル性能の向上
——朝木さんは日立グループのAI活用による価値創出を担うAISSビジネスユニットに所属していますが、AIのエキスパートとしてどのように日立パワーと連携されてきましたか?
朝木 克利(あさき かつとし)
株式会社 日立製作所
AI&ソフトウェアサービスビジネスユニット アプリケーションサービス事業部
HMAX&AIサービス本部AIサービス推進部 担当部長
朝木
2023年ごろ、日立グループ全体で生成AI活用を推進するプロジェクトが立ち上がった際、いち早く手を挙げたのが日立パワーで、当初はサポートセンターに寄せられる問い合わせ対応を支援するチャットボット開発などに取り組んでおり、保守の支援はまだ難しい領域でした。
日々活動を進める中、2025年に入ってGeminiのマルチモーダル性能*³が大きく向上しました。保守業務は、設備の状態を目で見て判断する場面が多く、画像や動画といった視覚情報が非常に重要です。AIが画像や動画を高い精度で理解できるようになったことは、現実世界の業務を支援するAIの実現性を大きく高める要素となり、今回のプロジェクトが始動しました。
「AIエージェントの民主化」という観点でも、Gemini Enterpriseは自然言語によるプロンプトの記述を通じてノーコードでAIエージェントの開発や改善ができるため、現場主導で迅速な試行錯誤と継続的な改善を実現できる環境を提供できます。最初は私がプロンプトを書いたとしても、そこからの調整や新しい試行は現場のみなさんが自ら行えるよう、常に現場と情報を共有しながら二人三脚で開発することを心掛けました。
*3 マルチモーダル性能:画像や動画、音声、文書など異なる種類の情報を組み合わせて理解し、現実世界の状況を総合的に判断するAIの能力。
保守業務とAIが親和する部分
——武田さんは、AISSビジネスユニットにおいてフィジカルAIの実現を見据えたさまざまな取り組みを進めています。今回のプロジェクトをどのように評価していますか。
武田 卓也(たけだ たくや)
株式会社 日立製作所
AI&ソフトウェアサービスビジネスユニット AI CoE HMAX&AI推進センター
兼 フィジカルAI推進センター Manager
武田
一般にAIは、出力結果に揺らぎや不確実性を含む技術であり、高い信頼性が求められるOT(Operational Technology)の世界とは相性が良くないと言われることがあります。一方で、近年のマルチモーダル化に加え、人間の能力を補完する手段としてのAIの価値も見えてきました。
たとえば保守の現場では、手順書が数十ページ、確認項目が数百に及ぶことも珍しくありませんが、人間はどうしても見落としを完全に避けることはできません。特に酷暑など過酷な環境下ではそのリスクはさらに高まります。また、人は、「問題ないだろう」と考えてしまう正常性バイアスの影響を受けることもあります。こうした、人間が陥りやすい疲労や先入観によるミスを、AIを活用すれば軽減できます。
もちろん、AIにも得意・不得意はありますが、人とAIがそれぞれの強みを生かせる協働の仕組みを設計できれば、保守をはじめとするOTの世界の業務品質をさらに高いレベルへと引き上げることが可能です。今回の取り組みは、その端緒となる事例だと考えています。
——現在、プロジェクトの第一弾として検証を進めているのが、受変電設備の配電盤の主機器であるVCB(真空遮断器)の点検支援のためのAIエージェントだそうですね。これは具体的にどのようなものなのでしょうか。
朝木
VCBの点検では、「ボルトの取付け方向の誤り」や「コンデンサの電極配線の接続ミス」、「放電クリップの取り外し忘れ」など、人為的なミスが発生する可能性があります。そこで開発したのが、保守前後の設備画像をAIが比較し、異常や確認が必要な箇所をアラートとして提示するAIエージェントです。
——次回は、現実世界の保守作業にAIを適用するにあたってどのような試行錯誤があったのか、など開発フェーズについて具体的に聞いていきます。
※本記事に記載の会社名、製品名は、それぞれの会社の商標または登録商標です。









