フロントラインワーカーの生産性をAIで向上するために
大山
水・環境事業統括本部社員のAI活用力を向上するためのトレーニングは順調に進んでいると聞いています。
風間
私たちは、上下水道などの社会インフラから、空調・産業プラントに至るまで、幅広いユーティリティ設備向けのソリューションを提供しています。これらの分野でお客さまが共通して抱えている課題が、減少するフロントラインワーカーの生産性の向上です。その解決の鍵が、AIを活用した現場のイノベーションですが、その前提として、まず私たち全員がAIを理解し、お客さまに具体的な価値として語れる存在になることが不可欠です。
そこで現在、野田さんら日本マイクロソフト社の協力のもと、Copilot活用コンテストの開催などトレーニングに力を入れており、数々のユースケースの定着など成果は着実に上がっています。

野田氏
順調に進んでいる最大の要因は、風間さんが明確なノーススター(北極星:最重要の単一指標)をしっかり示している点にあると思います。そして、その達成に向けたオペレーションは、部下を信頼して任せていること。日本企業では比較的珍しいタイプのトップではないでしょうか。AI活用推進のプロジェクトでやり方まで細かく統制し過ぎてしまうと、手段そのものが目的化しやすくなり、その結果、状況への柔軟な対応が難しくなったり、新しい発想が生まれにくくなったりと、活動の停滞を招きがちです。

風間
現場の「改善」などであれば、統制型のやり方の方が迅速に成果を得られるケースもあります。しかし今回めざしているのは、誰も正解を持たない「変革」です。だから、走りながら個々が創意工夫を重ね、完成度を高めていく自律型の取り組みとしました。特にAI活用推進においては、やり方を練り込むことに時間をかけてスタートが遅れることこそ大きなリスクです。
経営リスクを分析する2つのAIエージェント
大山
今回、風間さんから自身の業務を支えるエージェントを開発して欲しいという要望を受け、まず私たちはその課題や悩みを聞きました。
風間
経営を航海にたとえるなら、トップである船長は組織の成長に向けて、ノーススターをめざし続ける存在です。天候や高波、潮流といった環境の変化に応じて、乗組員をはじめとするリソースを適切に配置し、リスクを乗り越えていかなければなりません。
そのためには、まずリスクが正しく見えていることが前提となります。しかし、足元で起きている小さな変化が単なるさざ波なのか、それとも大きなうねりの前兆なのかを見極めるのは容易ではありません。しかも人は、不都合な情報を軽視してしまう確証バイアスや、「大きな問題は起きないだろう」と考えてしまう正常性バイアスにとらわれがちです。
そこで今回お願いしたのは、現状感じている違和感がどのようなリスクへと発展し得るのか、ブラインドなく、3Cの観点から分析*1すること。そして、そのリスクに対して先制的に立ち向かうシナリオまで提示してほしい、ということでした。
*1 3C分析:顧客(Customer)、競合(Competitor)、自社(Company)の3視点から市場と戦略を整理する基本フレームワーク。
大山
そうした意向を受け、私たちは2つのエージェントを開発しました。1つは、Competitor×Companyの観点でリスクを捉える「戦略的脅威シミュレーター:Shadow Master」です。競合CEOの視点を模倣し、日立の事業に対する脅威シナリオを生成。最終的には、先制防御のための戦略転換案まで提示する戦略思考エージェントです。

もう1つは、Customer×Companyの観点から構成された「戦略参謀:The Sentinel & Prophet」です。世界の変化を監視し、事業に影響を及ぼす予兆を分析。最悪の未来、いわゆる「ブラックスワン*2」を示唆し、そこから逆算した再生戦略を導き出す戦略参謀AIです。
*2 ブラックスワン:予測が困難で発生確率は低いが、起きた際には社会や市場に甚大な影響を与える予想外の出来事。


自分にはない新しい観点をエージェントで補強
風間
2つのエージェントとも、それぞれの観点からダウンサイドリスク(業績悪化の可能性)を徹底的に洗い出す設計になっていて面白いですね。たとえばShadow Masterには、「絶望的な未来が訪れたときに日立がしそうな“言い訳”を、競合CEOの立場で冷徹に論破する」というプロンプトが組み込まれています。またThe Sentinel & Prophetでは、ブラックスワンによって日立が劣勢に回った時、そこで打ち出す再生戦略すら無効化する攻撃を行うよう指示されています。
いずれのエージェントも、こうした最悪の展開を疑似体験できる構造で、「こういうカードも検討の選択肢に入り得る」と気づかせてくれます。
大山
これら2つのエージェントに関して、野田さん、ぜひご感想をお聞かせください。
野田氏
観点の幅を広げるうえで、非常に有効なツールだと思います。イノベーションの創出には、「実験者」や「ハードル突破者」、「世話役」など10の人格が必要*3だと提唱されていますが、経営リスクへの対応においても同様に多様な観点で臨むことは重要です。私たちは一人で何人もの人格を持つことはできませんが、このエージェントは確実に、風間さんにはない新しい観点を補ってくれるはずです。
*3 トム・ケリー&ジョナサン・リットマン「発想する会社!― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法」
大山
AIの中に複数の異なる人格を設定し、それぞれの視点から再生戦略を検討させるのも有効かもしれませんね。
AI活用は業務時間短縮から次のフェーズへ
野田氏
合わせて出力の精度を上げるテクニックとしていくつかアドバイスを差し上げると、プロンプトの中に「絶望的な未来を予想する」という指示がありますが、「絶望的」のような抽象的な言葉は判断基準があいまいなために、出力のばらつきにつながる可能性があります。「冷徹に最悪の未来を想定する」といった表現の方が、再現性が高く、実務で使いやすいでしょう。
また参照する情報源は、プロンプトで明示的に限定した方が有効だと思います。たとえば「公開情報のみに基づく。対象期間は○年まで」などの条件を加えたらいかがでしょうか。そうしないと、個人のSNS投稿やフェイクニュースまで拾ってしまい、市場分析が歪んだり、リスク評価が過大・過少になる恐れがあります。
もはやAI活用で業務時間を短縮するフェーズは終わりました。いまはノーコード、ローコードでRAGや業務システム連携など高度な機能を持つAIエージェントを開発できる環境が整っています。エグゼクティブの皆さんにはこうした環境を積極的に活用して、戦略立案の高度化など新しい価値の創出に挑んでほしいと思います。

風間
おっしゃる通りです。私も日々、情報収集や文書の要約などAIを使って業務の効率化を図っていますが、早く意思決定の領域でAIを活用しなければと、今回のエージェント開発に至りました。
今日の2つのエージェントも継続的に使いこなす中で、どんなデータを読ませればいいのか、どんなプロンプトが適切なのか、など試行錯誤が重ねられ、ますます賢くなっていくはずです。また、捉えた予兆に対して組織がどう動くのか、その運用の在り方も磨かれていくでしょう。さらに私自身においてもAIエージェントを日常的に使うことで、N次元でモノを考える力を鍛えていきたいと考えています。
いち早くエージェントを導入して、こうした学習を積み重ねた組織こそが、変化が激しい市場に対して迅速で質の高い意思決定を行うことができ、競争力を発揮できるのだと思います。
大山
次回は、組織がAIの価値を最大限引き出すために必要なものは何か、などについて深堀して聞いていきたいと思います。
「【第4回】日立製作所 水・環境事業統括本部長風間裕介の活用術(後編)」はこちら >

野田 景子(のだ けいこ)
日本マイクロソフト株式会社
執行役員 チーフラーニングオフィサー
Global Skilling
生成AI時代において、顧客・パートナー・社員を対象としたスキリング戦略を統括。テクノロジー、ライフサイエンス、金融分野にまたがる20年以上の経験を背景に、業務のデジタル変革のみならず、組織やカルチャーの変革を大規模に推進。AI活用による事業成長や人材・組織変革について、経営層に対するアドバイザリーも行う。

風間 裕介(かざま ゆうすけ)
株式会社日立製作所
理事
インダストリアルAIビジネスユニット 水・環境事業統括本部 統括本部長 兼
株式会社日立プラントサービス 取締役社長
2003年日立製作所入社。公共分野のIT系/OT系システムのプロジェクトマネジメント、事業戦略担当後、海外のHitachi Aqua-Tech Engineering Pte. Ltd.社長、国内の日立プラントサービス社長を経て2025年4月より現職。

大山 友和(おおやま ともかず)
株式会社日立製作所
デジタルシステム&サービス営業統括本部
Executive Strategy Unit フロントサポートセンター チーフプランニングエキスパート
AIアンバサダー
コンサルティング部門にて、営業業務改革、新規事業の立ち上げなどに従事した後、日立コンサルティングにて、基幹業務システム構築などを担当。プロジェクトリーダーとして、システム企画・構築・運用全般を統括。その後、営業バックオフィスを支える業務システム全般を統括。現在、営業部門の生成AI徹底活用プロジェクトの取りまとめとして、講演活動、ナレッジ蓄積、社内コミュニティ運営、人材育成などの取り組みを推進中。




