バスサービスにおけるDX、「ダイナミックルーティング」
データの利活用で従来にはなかったサービスが生まれた例として、わたしが関係する経営共創基盤のグループ会社である株式会社みちのりホールディングスのプロジェクトをご紹介します。
東北・関東を中心に複数のバス会社を経営している同社は、各社にダイナミックルーティングというしくみを導入しました。従来の路線バスのようにバス停の位置や運行ダイヤをあらかじめ設定するのではなく、時間帯ごとに需要が多いルートを走らせる。いわば「どこでもバス停」です。
このしくみを実現するにはAIの高度なテクノロジーが必要です。乗りたい時刻・場所が乗客によってさまざまななか、どんなルートを運行すれば無駄がなく、多くの人が助かるかをAIに判断させなくていけません。運行すればするほどAIは学習し、より質の高いルート設定が可能になります。
当然ながらその過程では大量の乗降データを利活用するわけですが、大切なのはその先に起こる変化です。地方では、路線バスだけでなくスクールバスや福祉バスも同じエリアを走っているケースがよく見られます。しかし多くの場合、残念ながらそのどれもが補助金の支援を受けてもなお赤字という状況です。
そこにダイナミックルーティングが導入されれば、1つのバスサービスだけで事足りてしまいます。AIの判断で、病院に向かう時間帯もあれば学校に向かう時間帯もあり、通勤客や買い物客を多く乗せる時間帯もある。従来別々の団体が運行していた路線バス、スクールバス、福祉バスというタテ割りをやめて1つのバスサービスに集約し、時間帯に応じてルーティングだけ変えるという発想です。
TransportationからMobilityへ
みちのりホールディングスの取り組みの先にはMaaS(Mobility as a Service※)があると言えます。従来の公共交通はTransportationでしたが、スマートシティで起こそうとしている新たな公共交通はMobilityであり、この2つには明確な違いがあります。
※ 利用者一人ひとりの移動ニーズに対応し、複数の移動サービスを最適に組み合わせて検索・予約・決済などを一括で行うサービス。
Transportationとは、人がインフラの都合に合わせることを意味します。バス会社が設置したバス停に足を運び、定められた時刻にバスに乗る。これに対してMobilityは、インフラのほうが人の都合に合わせる。それが可能なのは、そこにデータが使われているからです。
仮に、ダイナミックルーティングを病院の予約システムと連携させれば、待ち時間なくバスに乗ることがき、さらに待ち時間なく診察を受けることが可能になるかもしれません。そうなると、バス会社、医療機関、福祉施設、学校それぞれの役割の線引きが薄れ、人間と機械の分業のあり方も変化していくはずです。このように、データ利活用により将来起こりうる変化をイメージすると、おぼろげながら未来の地図を描けるようになります。
未来図をイメージできていないのにDXに取り組もうとするのは、地図を持たずに競合他社と競争するようなものです。ご自身が勤める企業のビジネスをレイヤーで捉え直し、さらにデータを利活用することで、既存のサービスをどのように書き換えることができるか。この発想をつねに持ち続ける必要があるのです。
目の前にない「具体」を考えつく
この連載でもお話ししましたが、DXを起こすには「D人材」と「X人材」が必要です。「D人材」とはその名のとおり、デジタルについてのリテラシーを最低限持っている人。ここでお話しするのは、ときとしてより重要な「X人材」です。
X人材とは、本日お話ししてきたような思考、行動ができる人です。「現状の組織図はこうなっているけれども、デジタルツールを取り入れると分業のあり方がこのように変化するのではないか」という仮説を立てることができる。そのためには、新しい未来の形をイメージして、なおかつそれを他者に伝える能力が必要です。
先ほどのバスの例にたとえると、「路線バスとスクールバスは別々の団体が運行すべきだ」という従来の枠組み=既存のフレームにとらわれず、新たなフレームで発想することができる。自社とはまったく関係のなさそうな業種で行われている手法にヒントを見つけて、新しいアイデアを思いつく。DXを起こそうとしている分野の未来図を描き換えることができる。これがX人材です。
では、X人材になるためにはどんな能力が必要か。それが、この連載や拙著『DXの思考法』で強調してきた「抽象化」です。
例えば、「話を単純化する」。今、世の中で起きている変化を一言で言い表すことができる。そのために、本当に大事な要素だけを盛り込んで言語化できる。
それから、「比喩が上手」。複数の物事を見て、それらに共通するパターンを見出せる能力です。ほかの業界で起こっていることが、実は自社の業界でこれから起きようとしていることとパターンが似ているのではないかと気づくことができる。
抽象化と具体化は、真逆の言葉ではないとわたしは思います。抽象化とは「目の前にある具体から離れて、目の前にない具体を考えつく」能力とも言えます。目の前にある具体を前提にして新しいことを考えようとしても、結局のところ、それとあまり変わらないものしか思いつかず、DXを起こすことはできません。
抽象化能力は、伸ばせる
どうすれば「抽象化」の能力を伸ばせるのでしょうか。キーワードは「ケーススタディ」です。
現在日本でも展開している「42(フォーティートゥー)」という、パリを拠点としたデータサイエンティスト養成校があります。入学試験で問われるのは知能テストと協調性だけで経歴は不問、しかもカリキュラムの大部分は学生が自分で作るなど、日本の大学とはまったく異なる教育機関です。
カリキュラムのなかには、基礎的なスキルを習得するものだけではなく、企業から提供された実際の課題を解くというものも含まれています。わたしの仮説ですが、その多様な課題に取り組む作業を通じて学生は多様なフレーム――問題解決に取り組む際の思考の基礎となる、考え方の「型」を身に着けているはずです。
この「42」を参考にして経済産業省が実施しているのが、課題解決型AI人材育成事業「AI Quest」です。AIをテクノロジーとして扱いながらも、「42」のように実際のビジネスケースを活用して多様なフレームを学び取ることを狙った育成プログラムです。ご関心があれば、ぜひ活用されてはいかがでしょうか。
まとめると、X人材とは、冒頭に述べた「人間が解きたい課題」の側に立ち、デジタルのテクノロジーを使いこなす人です。そのためには、既存のフレームを捨て、新しいフレームを持ち込む。つまり、「抽象化」する能力が必要であり、それを身に付けるために「42」や「AI Quest」を活用するという手段もあります。X人材を育てることは可能です。日系企業のさらなるDXの推進に、期待していきたいと思います。
西山圭太(にしやま けいた)
東京大学未来ビジョン研究センター 客員教授
株式会社経営共創基盤 シニア・エグゼクティブ・フェロー
三井住友海上火災保険株式会社 顧問
1985年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。1992年オックスフォード大学哲学・政治学・経済学コース修了。株式会社産業革新機構専務執行役員、東京電力経営財務調査タスクフォース事務局長、経済産業省大臣官房審議官(経済産業政策局担当)、東京電力ホールディングス株式会社取締役、経済産業省商務情報政策局長などを歴任。日本の経済・産業システムの第一線で活躍したのち、2020年夏に退官。著書に『DXの思考法』(文藝春秋)。