「第1回:『デジタル化』とは、何をすることか。」はこちら>
「第2回:人間とコンピュータの間を埋めてきた『レイヤー構造』。」はこちら>
「第3回:DXは『抽象化』から始まる。」はこちら>
「第4回:『モノからコトへ』に欠かせない、『プロセス』の視点。」はこちら>
「第5回:ソフトウェアの秩序が、組織を規定する。」はこちら>
「第6回:D人材とX人材」はこちら>
「第7回:『アーキテクチャ』とは何か。」はこちら>
「第8回:漱石の『文学論』と、『アーキテクチャ』の関係。」はこちら>
自分で状況をコントロールできるか
「楽しく働く」とはどういう状態を指すのか。わたしが思うに、それは「状況に振り回されない」ことです。反対に、状況に振り回されている状態とは、だれかに言われたことだけをやっている、まったく主体性がない状態。そんな状態が続くと、楽しくないですよね。それは家庭でも職場でも同じだと思うのです。
言い換えると、自分を取り巻く状況を自分でコントロールできていれば、楽しく働ける。何もかもが思いどおりにとはいかなくても、ある程度は「自分がこうしたい」という意図のもと仕事に取り組めている状態です。
もし、あなたの意図に関係なく、あなた自身が取り組むべき仕事がすでに細かくすべて決められていたとしたら、決して楽しくはないはずです。「自分以外のほかの人がやっても同じじゃないか」と思うのではないでしょうか。
自分がやりたいように仕事に取り組み、結果としてだれかのためになり、褒められる。「楽しく働く」ことの起点は、あくまでも自分にある。そのために、わたしが経済産業省に勤めていた頃から部下にすすめているのが、「常識を疑う」という視点を持つことです。
常識の疑い方
ここで言う「常識を疑う」とは、自分に与えられた仕事を、自分なりに一から組み立ててみるということです。つまり、それまで会社が前提にしていたこと、上司が言っていることを鵜呑みにしない。
例えば上司から「この業務を、このやり方でしなさい」と指示されたとします。あなたはひとまずそれを受け止めたうえで、ほかのやり方を模索し、あなたなりに検討する。そのうえで「いろいろ考えたのですが、自分としてはこのやり方がいいと思います」と上司に提案する。これが「楽しく働く」の基本姿勢です。
おそらくですが、日系企業の大組織にお勤めの多くの方が、こういった姿勢をどこかタブー視していないでしょうか。「会社が決めたことをやる。それが企業人だ」という思い込みを持っていないでしょうか。
企業としては本来、従業員にはクリエイティブなことをしてほしいはずです。クリエイティブとは、それまでほかの人が考えもしなかったことを実行することです。それは結局のところ、企業のそれまでのやり方を疑うことを抜きには成り立ちません。
常識を疑って自分なりに仕事を組み立てるには、発想のもとになる材料が必要です。それは、ご自身が人生の中で経験してきたことにほかなりません。過去に経験したことと今目の前にある仕事との共通点を見出し、仕事を捉え直す。そして、上司から言われたことと、言われていないこと=過去の経験から自分なりに考えたことを組み合わせることで、仕事を組み立てる。かつて、経済学者のシュンペーター(※)はイノベーションを「新結合」と表現しました。結合される前は既存のものであっても、組み合わせを換えれば新しい価値が生まれる。それがイノベーションだと。仕事を組み立てる際の発想法も、同様なのです。
※ ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(1883~1950年)。オーストリアに生まれ、イノベーション理論の先駆けとして知られる。
上司から初めての仕事に取り組むよう指示されたとき、あなたは、それとは直接関係のないほかの経験を頭のなかで動員して、上司の話を再構成しているはずです。つまり、新結合が起きている。新結合を起こすための素材集めに有効な手法が、この連載で何度かお話ししてきた「抽象化」と「比喩」です。上司から指示されたことを抽象化して捉えると、過去に自身が経験した出来事と共通点があることに、あなたは気づくはずです。それができないと、上司が言ったことを文字どおりそのまま実行するだけになってしまいます。
アーキテクチャ理解の道すがら、夏目漱石の『文学論』に出会うまで
「常識を疑う」作業を繰り返すと、世の中の見え方が変わります。ご自身が今まで経験したことのない仕事や、初めて出会う分野の知識など、一見自分の仕事とはまったく異なるかのように見えるもの同士がつながり始め、それが役立つことに気がつきます。そうするといろいろなことに興味を持てるようになり、自分のなかの素材がますます増えていきます。いわゆる「引き出しが多い」状態です。
例えば、新聞を読むときや本屋を訪れたときに、それまで素通りしていた業界の記事やジャンルの本にも目が行くようになる。その結果、トヨタ自動車のカンバン方式が小売業界にヒントを得たというエピソードのように、自分が働いている業界とは一見関係のなさそうな分野に、仕事のヒントを見つけ出せるようになる。もちろん知識を増やすための情報収集も大切ではありますが、興味が持てる分野を増やすことが、DXを起こすうえでとても大切なのです。
第8回で、夏目漱石の『文学論』をご紹介しました。わたしは文学についての知識を得るために『文学論』を読んだのではありません。アーキテクチャを理解するためのヒントを求めるなかでこの本に出会いました。そのときのわたしの思考にはこのような変遷がありました。
真のDXの実現にはUX(ユーザーエクスペリエンス)が大事なのでは?
↓
UXを実現するには、人間が経験したいこと(感情)をコンピュータに伝える必要があるのでは?
↓
人間の感情は、コンピュータでも理解できる要素に分解できるのでは?
↓
似たような分析をした人が過去にいるのでは?
そしてたどり着いたのが『文学論』でした。
興味の幅が広がると、人の話も関心を持って聞けるようになります。つまり、相手がそれまでの人生においてどんな経験をしてきたのかに興味が湧く。話を聞くことで知識を増やすことが目的ではなく、相手が語る苦労話や楽しかったエピソードに、自分の人生にヒントになるようなエッセンスが隠れているかもしれないからです。
それはつまり、「状況は違っていても、自分があのとき経験したことと同じではないか」という共通点に気づくということです。まったく異なる他者の人生が、自分の人生と関係していると思える。そうなると、人と話すのが楽しくなる。「楽しく働く」ということも、根底にある考え方は一緒です。
「第10回:DXに通じる、同僚とのコミュニケーション術。」はこちら>
西山圭太(にしやま けいた)
東京大学未来ビジョン研究センター 客員教授
株式会社経営共創基盤 シニア・エグゼクティブ・フェロー
1963年東京都生まれ。1985年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。1992年オックスフォード大学哲学・政治学・経済学コース修了。株式会社産業革新機構専務執行役員、東京電力経営財務調査タスクフォース事務局長、経済産業省大臣官房審議官(経済産業政策局担当)、東京電力ホールディングス株式会社取締役、経済産業省商務情報政策局長などを歴任。日本の経済・産業システムの第一線で活躍したのち、2020年夏に退官。著書に『DXの思考法』(文藝春秋)。