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『イノベーターズ』に唯一登場する日系企業
第1回で紹介した『イノベーターズ』という本に、1社だけ日本の企業が登場します。ビジコンという、コンピュータ部品を作っている会社です。かつて、小型卓上計算機の開発競争でシャープやカシオといった国内の有名企業としのぎを削り、1971年、日本で初めてポケットサイズの電卓を発売しました。
この小さな電卓を製品化するには、当時技術が確立されつつあったマイクロチップを使用することで、プロセッサ(計算プログラムを処理するハードウェアの部品)を小型化する必要がありました。しかし、そこに搭載するマイクロチップを生産する設備・能力がビジコンにはなかったため、ファブレスで製品化するしかありませんでした。同社の技術者が電子回路の設計図を持って訪れたのが、当時誕生したばかりのIntelです。1969年、創業してまだ2年目のことでした。
Intelの基礎を築いた、「抽象化」の発想
ビジコンによる設計では、12種類のマイクロチップが必要だったそうです。その説明を受けたIntelの責任者でエンジニアのテッド・ホフは、別の考えを持ちました。そのときに彼が注目したのは、電子回路の設計図面ではなく、その回路を使って処理したいプログラム、つまり「マイクロチップで解きたい課題」のほうだったのです。
結論から言うと、ホフはビジコンが必要と考えていた12種類のマイクロチップのうちの9つを1つのチップにまとめてしまったのです。なぜそうしたのか。創業間もないIntelにとって、12種類ものマイクロチップを生産することは不可能だったという理由もありました。
しかし、より重要なのはこちらです。せっかくマイクロチップを作るのなら、ビジコンだけでなく他社の製品も動かせる、さらには小型計算機以外の電子デバイスも動かせるマイクロチップを作ることができて、しかもその仕様を突き詰めて1つのチップに集約できたらすごいじゃないか、という発想です。第2回でお話しした、コンピュータに至るチューリングの発想と同じです。別の角度から言えば、ホフはビジコンが持ち込んだ課題を、電子回路という具体ではなく、「マイクロチップを使って解きたい課題」、さらには「他のデバイスでも求められる課題」というように、課題の方向に「抽象化」して捉えたのです。
なぜ日系企業は「抽象化」が苦手なのか
テッド・ホフのこの発想は、日系企業に勤める多くのビジネスパーソンとは逆だと思います。「12種類のマイクロチップが必要なんです」と依頼されたら、多くのエンジニアはその設計図面にしか目がいかず、それどころか「チップを15種類に増やせば、もっと精密な電卓が作れますよ」という提案をするのではないか、というのは言い過ぎでしょうか。
思考法には大きく2種類あるとわたしは思います。目の前にある具体的な物事を、より細分化して考える。それとは逆に、物事を俯瞰したうえで、抽象化して考える。高度成長期においては、日本の企業は前者の思考法で競争を勝ち抜き世界的にみても大成功しました。しかし、そこからデジタル化が飛躍的に進みました。デジタル化で求められるのは、明らかに「抽象化」です。前回お話ししたアラン・チューリングが、一つひとつの数学の問題を解くのではなく、「数学全般の問題を解く」と視座を一段高くして全体を見渡したことで、「解き方は1つだ」と気づいたように。デジタル技術は原理的に「抽象化」つまりは「ヨコ割り」でできているので、DXでデジタル技術を使いこなす上でもその発想が不可欠です。
官民を問わず、日本のビジネスパーソンのほとんどが抽象化を不得意としているように見受けられます。例えば文書を作る際に、「あれも足りない、これも必要だ」と情報を付加すると、仕事に貢献した気分になります。結果として、文書はどんどん厚くなっていきます。そうしてできあがった分厚い資料で、製品や技術を詳細に説明することはできても、「競合他社との違いは何ですか?」と聞かれたときに、端的には答えられない。そんな方が実は多いのではないでしょうか。
児童心理学の最近の研究成果によると、抽象化して考える能力は大人よりも子どもの頃のほうが優れているそうです。ということは、もともとは抽象化能力が高かった方も、就職して組織の一員になってから、思考の硬直化が始まるのではないかというのがわたしの持論です。業界、会社、そして部署や課といった狭い範囲、すなわち業界地図と組織図のなかでしか物事を考えられなくなる。
デジタル化の最先端にあるAIとは、つまるところ人間の脳の構造と同じようなものをコンピュータに実現しようとしていることにほかなりません。そもそも、脳の構造はヨコ割りのはずです。当たり前ですが、生まれた時点では何を学んでいくのか、何に関心を持つのか、どの職業に就くかなど決まっていませんから。
Intelを世界的企業に押し上げた、もう1つの「抽象化」
ビジコンとIntelの話には続きがあります。当初の依頼以上にコンパクトなプロセッサの共同開発に成功したテッド・ホフは、ビジコンにこう持ち掛けました。「生産費はお安くしておきます。その代わり、このプロセッサのライセンスをわたしたちにお譲りください」。こうして生まれたのが、たった1つのチップからなる世界初のマイクロプロセッサ「Intel 4004」です。その後、現在に至るまでのIntelの躍進はご存じのとおりです。
この発想はMicrosoftのWindowsにも共通しています。かつてはパソコンのメーカーごとにOSが異なり、専用のソフトウェアやアプリケーションが作られていたため、パソコンを買い替えると使えるアプリケーションも変わるという不自由さがありました。そこでビル・ゲイツのMicrosoftが開発したのが、汎用OSとしての Windowsです。これによって、メーカーが異なるパソコンでもWindowsを搭載すれば同じアプリケーションを使うことができるようになり、Windowsが広く普及していきました。この発想こそ、抽象化なのです。
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西山圭太(にしやま けいた)
東京大学未来ビジョン研究センター 客員教授
株式会社経営共創基盤 シニア・エグゼクティブ・フェロー
1963年東京都生まれ。1985年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。1992年オックスフォード大学哲学・政治学・経済学コース修了。株式会社産業革新機構専務執行役員、東京電力経営財務調査タスクフォース事務局長、経済産業省大臣官房審議官(経済産業政策局担当)、東京電力ホールディングス株式会社取締役、経済産業省商務情報政策局長などを歴任。日本の経済・産業システムの第一線で活躍したのち、2020年夏に退官。著書に『DXの思考法』(文藝春秋)。