21世紀の戦略モデルを「舞の海」に学ぶ
鮫嶋
齋藤さんが挙げられた日本の強みは、一言で言うと「現場力」ということになると思います。日本では当たり前だと思われていることが、実は非常に高度なオペレーションに支えられているという例は多くあります。新幹線の定時運行、電力ネットワークの高い品質、衛生環境の良さ、シェーデ教授が指摘された製品の複雑さを支える製造業のOT(Operational Technology)などがその代表例でしょう。
そうした日本の現場力、OTが生み出している質の高いデータは、生成AIの進化を加速させる可能性を秘めていると思います。現在の生成AIのLLM(Large Language Model)はオープンな文書データを学習して発展してきましたが、2028年には利用可能なデータが枯渇すると推計されています。一方、企業活動で生み出されるデータは年々増加しているにもかかわらず、AIの学習に利用されているものはその数%程度にすぎないという報告があります。それらを利用していくことが、強みを生かしたAIモデルの開発につながるでしょう。
例えば、製品がそれ自体のマニュアルや不具合に関するデータベースを学習して作業員と対話しながら保守をサポートするTalkative Productsなど、エンタープライズデータの活用にはさまざまな可能性があると考えています。
そのため日立ではさまざまなパートナーさまとの協創を進めており、その一つがNVIDIAです。
NVIDIAとの協創では、NVIDIAのサーバ、次世代デジタルツインと日立の現場のデータを掛け合わせ、エネルギーやモビリティなどの分野におけるオペレーションをAIでさらに高度化することに挑戦しています。
シェーデ教授は、日本企業の強み、ポテンシャルについて、どのようにお考えでしょうか。
シェーデ
昭和時代の日本のビジネスモデルでは「サイズ」が重要で、売上高や雇用などの数字が大きいほどよいとされてきました。しかし現在、テクノロジーフロンティアのリーダーであるためには異なる戦略が必要であり、それは相撲の力士から学ぶことができます。約30年前、ハワイ出身の巨体力士が活躍していた頃、私が一番好きだったのは「技のデパート」と呼ばれた舞の海でした。その「舞の海の戦略」が今後、日本企業の戦略のモデルになると思います。
今の時代はサイズだけでは勝てません。舞の海のように賢くアジャイルに戦う戦略が必要です。それは、常に新しい技を繰り出すこと、日立とNVIDIAのような良い依存関係を築くこと、技術の最前線の位置を守ることなどで、日本企業の先頭ランナーはすでにそのような戦略を実行しています。
その舞の海の戦略をデザインするための良いツールが「イノベーション・ストリーム・マトリックス」です。これについては『シン・日本の経営』に掲載していますが、簡単に説明すると、自分たちの現在のコアコンピタンスは何か、それを他社が模倣できない新規事業にどう広げていくかを考えるための指針となるものです。
齋藤
舞の海の戦略というのは、面白い視点ですね。NVIDIAもクラフトマンシップを重要視しており、コンピュータゲーム用のグラフィックスチップの会社からスタートし、そのGPUの構造がアクセラレーテッドコンピューティングに適していたことからスーパーコンピュータへ、ディープラーニングへと市場を広げ、今日に至っています。その意味では、コアコンピタンスを新規分野へとうまく展開しながら成長してきたと言えます。
これからの成長の鍵は「バランス」
鮫嶋
では、日本の良さを生かした独自の成長モデルとはどのようなものでしょうか。
シェーデ
日本はこれまであえて「スロー」だったとお話ししました。けれど、労働力不足、金利上昇、AIの急速な進展という三つの理由から、これからはもっと速くなると思います。そのような時代に大切なものは「バランス」だと思います。
21世紀の日本に必要なのはマクロ経済データやランキングにこだわることではなく、新たなバランスを見つけることです。経済成長と社会の安定のバランス、経済的生産と環境の持続可能性のバランス、企業や技術の進歩とヒューマンウェルビーイングのバランスといったことです。
鮫嶋
日立が注力している社会イノベーション事業は、社会課題の解決と経済成長の両立を図るものです。現在の経営計画ではとくに、プラネタリーバウンダリ―の維持とウェルビーイングとのバランスをとりながら成長することをめざしています。日本は課題先進国と言われますが、複雑な社会課題の解決には統合的、全体的な視点、まさにバランスを考えたアプローチが必要なのだと思います。
齋藤さんは、日本の成長モデルについてはどうお考えでしょうか。
齋藤
これはNVIDIA のCEO、ジェンスン・フアンが言っていたことですが、日本の企業はコンサバティブなところがあるのに対して、日本のコンシューマはむしろ新しい技術に対する適応力が高く、その活用への意識も高い。これはとても大切なことだと思います。例えばロボティクスでも、まずは活用してみることで、次の展開やアイデアが出てきます。そうした土壌が日本の成長につながるのは間違いないと思います。
鮫嶋
シェーデ教授のおっしゃるバランスという観点を取り入れると、新旧のバランスも必要ですね。既存の事業を守り育てつつ新しいチャレンジをしていく、言葉を換えれば「両利きの経営」が大切であると思います。
シェーデ
そうですね、「デジタルモノづくり」も同じで、日本が伝統的に強みを持つモノづくりを大切にしながらデジタルという新しい要素を取り入れることで、どのように日本が成長できるのか、私自身も興味深く見ています。
鮫嶋
デジタルによって効率化、自動化していくという流れは必然です。ただ日本の複雑な製品を生み出す現場は完全に自動化できるものではなく、まさに現場のナレッジ、創意工夫、匠の技といったことを大切にしながら、それらをデジタルでいかにエンパワーメントしていくかが重要になりますね。
フランスの哲学者アランの『幸福論』に「悲観主義は気分によるもので、楽観主義は意思によるものである」という言葉があります。日本の過去30年を見て悲観するのではなく、これからどうしていきたいか、意思を強く持って取り組んでいくことが重要だということに、本日のセッションであらためて気づかされました。
私ども日立も、お客さま、パートナーさまと一緒に日本ならではの新しい社会モデルの構築や、グローバルなステップアップをめざします。