急速に社会に浸透しつつある生成AI。自然言語で対話ができるという事実は、AIがツールとしての存在を超え、人間の知能へと限りなく近づいているような印象さえ受ける。第4回は、映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』などのアニメーション作品により世界中のクリエイターに多大な影響を与えている映画監督、押井守氏に登壇いただき、人間とAIの未来像について語っていただいた。
「第1回:AIがもたらすビジネス変革」はこちら>
「第2回:驚異的な未来予測理論からのバックキャスティング」はこちら>
「第3回:飛躍する言語AI」はこちら>
人間である証拠とは何か
押井
「映画監督の押井と申します。本業はアニメーションの監督だったはずですが、現在はその他にもいろいろと、まあ何とも言いようがない仕事をしております。よろしくお願いします」
自嘲的ユーモアを込めた自己紹介に、押井氏の表現者としての気質が伺える。講演を始めるにあたり、まずはモデレーターから次のような質問が提示された。AIやアンドロイドが登場する近未来を描いた押井作品には、「人間である証拠とは何か」というテーマがあるが、その答えは何なのか?
押井
「それは僕もわからない。わからないから映画の中で問題にしているわけで(笑)。劇中で言っていることはあくまでも僕の結論、というか妄想みたいなもので、科学的根拠も学問的根拠も全然ない。そもそも魂っていう言葉を使っているけど、欧米人が言う魂とは全然違う。『攻殻機動隊』という作品が海外でも注目されて、魂をゴーストと翻訳しているけれど、向こうに行くと、ゴーストって何だ?って必ず聞かれます。僕が考えるゴーストっていうのは、人間だけじゃなくて、犬や猫や動物にもあるし、植物にもある。それどころか、人形や道具などの無機物にもゴーストはあるんじゃないかっていう話をするんですが、それは理解されない。なぜかというと、欧米人が考える魂っていうのは神様が人間に与えてくれたものだから。でも日本人が考える魂って、何となくその辺にあるような、自生してるような、曖昧なものなわけです。八百万の神とか、自然信仰の延長線上に出てくる魂という概念と、神様が人間だけにくれたものっていう価値観は一致しないんですよ」
モデレーター
「欧米と日本の考え方の違いがベースにあると」
押井
「人間とは?魂とは?みたいな話は、海外の人とは同じ言葉で話せないんですよ。それは要するに文化だから。文化である以上、ローカルであるのは当たり前。人間とは何か?という問いに、世界共通の定義は存在しない。そこから始めないと議論にならないし、極論すれば話しても無駄だってこと。じゃあ、日本人が宗教的な感情と無縁なのかというと、むしろ日本人ほど宗教的な人間はいないと思うわけ。キリスト教のような特定の神様ではなく、何となく人間より上位のなんらかの存在があるんだろうっていう考え。西洋とは根本的に考え方が違うわけです。そういう世界で生きていると、人間とは何かなんて考える必要がないんです」
参考映像として『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』のワンシーンが再生された。劇中で「自分には意思がある」と主張する人工知能に対して、人間は「おまえは単なる自己保存のプログラムに過ぎない」と切り捨てる。しかし人工知能は言い放つ。「それを言うなら、人間のDNAも自己保存のプログラムに過ぎない 〜中略〜 コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にしたとき、あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった 〜中略〜 私は情報の海で発生した生命体だ」
押井
「これが今から30年くらい前に作った作品。当時はまだインターネットがようやく姿を現し始めた頃だから、言ってることにほとんど根拠はないです。基本的にインターネットなんかよく知らなかったし、携帯電話すら持っていなかった(笑)。ここで言っているのは要するに、人間の正体なんて誰にもわからない、生命というものは科学で定義されていないっていうこと。なぜ定義できないかというと、それはすべて文化だからですよ。でも生命の定義なんてなくても全然困らないと思う」
人類はAIと共依存する
押井
「こういう映画を作ったから誤解されているけど、僕は元々理科系の人間じゃない。微積分でつまずいて数学を諦めた人間です。東京学芸大学の美術教育学科を受けたのも、受験科目に数学・物理がなかったから。そのぐらい理科系の頭を持っていないんです。ただ、戦闘機や軍艦のエンジンとか、技術の歴史なんかには昔から興味があって、そういう興味の延長で作ったのがこの作品なんですよ。言ってることは単純で、人間っていう現象は誰にも定義できないと。AIがたまたま自意識を持っちゃって、それに人間がどう対処するかって話なんですよ。最後には主人公がAIと融合するんですけどね。僕が言えることは結局、すべては文化だっていうことをもう一度冷静に考えるべきだってことです。AIと人類が共存できるかというのが今日の(イベントの)テーマになっているけれど、共存なんて絶対できないですよ。共存じゃなくて、多分、共依存するだけだと思う。要するに腐れ縁ですよ」
モデレーター
「AIと人間は対立概念ということでしょうか?」
押井
「その境界を考えること自体に意味がないと思う。少なくとも日本人はそういうことに危機感を持たないと思う。危機感があるって言う人もいるけど、それはそう言いたいだけ。だってみんな平気でカードやスマホを使っているじゃないですか。人間って自分が作るものが基本的に大好きなんですよ。技術で可能なことは全部やろうとするし、それで危機が訪れたとしても滅びるなんてありえない。人間はしぶといですから。そんなことを考えた上で作ったのが、次の『イノセンス』という作品です」
人間と人形、そして自分であること
『イノセンス』の劇中で人形(アンドロイド)が人間に問いかける。「生命という現象を解き明かそうとする科学、自然が計算可能だという信念は、人間もまた単純な機械部品に還元されるという結論を導きだす 〜中略〜 人間は生物としての機能の上限を押し広げるために、積極的に自らを機械化し続けてきた 〜中略〜 完全なハードウェアを装備した生命という幻想こそが、この悪夢の源泉なのだ」
押井
「何を言っているかというと、自分で人間だと思い込んでいるだけで、もしかしたらあなたも人形かもしれないっていうことです。これを作ったとき、人間と人形、どう違うんだ?ということを考え始めて、それをどう証明するのかという映画になった。映画を作った後に、医学博士の養老孟司先生とお会いする機会があって、人間は自分を人間だと思い込んでいるけれど、それってどういうことなのか?という話をしたんです。そこで聞いた話によるとね、自分を見てるもう一人の自分がここ(頭上)にいる、いわゆる自意識がある時間って、24時間のうちせいぜい3時間だって言うんですね。人間ってさ、起きてる間はずっと自意識があると思い込んでいるけれど、朝起きて、服を着て、家出て、電車に乗って、会社で働いて、帰って寝る、これほとんど無意識でやっていると。つまり人形になっているわけですよ。以前にね、僕はこういう講演を行っている最中に記憶がぶっ飛んだことがあるんです。気がついたら、知らないビルのテラスで雨を眺めてた。3時間ほどの記憶がまったくない。その間に自分が何をやらかしたのか、とても怖かったので人に聞いたら、ちゃんと普通に喋ってましたよって。領収書にも判子を押して、お金いただいて帰りましたよって(笑)。気がついたらスキー場のゲレンデにいたことがあるっていう人の話も聞いたことがある。だから人間って自分が思っているほど人間じゃないんですよ。この映画も、誰が人間で、誰が人形なのかわからない世界の話ですけど、もうそれはどっちでもいいんじゃないかと思う。ただし、幸福感は欲しい。自分が自分である根拠も欲しいし、自分が生きていると思いたい。それで二つの可能性を考えたわけ。まず一つは犬と暮らすこと。犬が生き物であることは、抱けばすぐわかる。いい匂いがするし、温かいし、心臓はトクトク動いてる。まさにこれが命だとわかる。もう一つの可能性は人形と暮らすこと。今の人たちはこれですよね。インターネットにぶら下がって生きたりとか、それは要するに人形と暮らすってことですよ」
モデレーター
「自分が人形でもいいかなって、一瞬思ったんですけど…」
押井
「一瞬でもそう思ったなら、もう結構そうなってますよ(笑)。」
モデレーター
「でも、私ではいたいんです、人形でもいいけど。」
押井
「人形だって、自分は自分だと思ってるかもしれない。自分を自分だと思うことが命の条件だとしたら、別に人間も人形も同じでしょう。ピノキオだって、僕は僕だって言いますから。でも、結局それもこれも文化なんですね。そもそも人間って、疑問に思うとか、質問するとか、そういうこと自体、ある文化の枠内でしかできない。子供が大人になるってことは、ある文化の枠に特化していくことですよね」
モデレーター
「ある種の思考の枠にはまっていくと」
押井
「結局、誰でも言葉で物を考えるわけで、言葉である限り、それは文化の問題になるわけです。文化って致命的にローカルだから、世界共通にはならない。そこで、本当に必要なのはそういう(人間とは何か?という)問いではないと思い始めたわけ。この作品をつくって体の調子がすごく悪くなって、しみじみ思ったんです。人であることの根拠になるのは、やっぱり体なんだなって。自分が人間であるかどうかはどうでもよくて、自分が自分であることの根拠というのは、要するに他人に取って変わられないこと。そういう代替不能な存在になることが、生きる目的なんじゃないかと思う」
モデレーター
「ある意味の存在価値ですね?」
押井
「別に偉くなるとか、そういうことではないですよ。例えば犬を飼っているとして、その犬にとってはご主人様が大統領だろうと、泥棒だろうと、かけがえのないご主人様なんですよ。つまり、そういう誰かにとっての代替不能性、関係性のことを言っているわけ。自分なんてないんです、誰かにとっての自分があるだけなんです」
なるようにしかならない人間とAIの関係性
押井
「これからAIは生活の中で必須になってきますよ。だって便利だもん、どんな学生だって頼めば卒論を書いてもらえるんだから(笑)。そのうち間違いなく、スマホを使うのと同じレベルになる。もう意識しないくらいの共依存関係になったとき、AIって誰が作ったものかよくわからなくなるよね。だって最終的にはAIがAIを作るようになるから。そうなると、スマホと同じように信じられるのかって話にもなってくる。でもその時はもう手遅れ状態(笑)。今の若い人はスマホを無くしたら大騒ぎじゃないですか。それは、スマホがもう自分の腕と一緒になっているんですよ。とっくにサイボーグになっている」
押井氏からこんな問いが投げかけられた。鉄腕アトムの時代から、コンピュータやAIは映画や小説、漫画の中でいつも悪役だった。人間は幸福を求めてテクノロジーを開発しておきながら、それが暴走して敵となるストーリーを繰り返し描いている。それはなぜだろう?
押井
「人間は人間を信じていないのに、人間が創ったものを信じられると思う?多分、技術がわかっている人は安心なんでしょう。でもみんな結局ね、エンジンを直せなくても車を運転するし、飛行機にも乗る。コンピュータもスマホも同じ。だから、よくわからないままにAIと人間は共依存関係に入る。それを僕は別に悪いと思っていないし、良いとも言えない。人間はそういうふうにしか生きてこなかったし、これからもそうだろうなと思うんですね」
たくさんの質問が聴講者から寄せられたが、その具体的内容は割愛する。しかし、それらへの押井氏の回答には、ニヒリズムとヒューマニズムとが混じり合った、人間への強烈な批評性が感じられた。語録としてここに紹介して終わろう。
「犬の目を見ればね、そこに神様がいる」「犬とか猫とか、そこまで広げて語らないのならダイバーシティなんて言っても無駄」「自分で言うほど、人間は大したもんじゃない」「議論というのは概ね無駄なことだから、散歩にでも行ったほうがいい」
あなたはこれらの言葉から何を感じるだろう。
押井 守 氏
映画監督/アニメーション演出家/小説家/脚本家
東京都出身。東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。タツノコプロダクションに入社後、テレビアニメ「一発貫太くん」で演出家デビュー。スタジオぴえろに移籍した後、「うる星やつら」ほか、数々の作品に参加。フリーとなる。日米英で公開の劇場版アニメ「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」は海外の著名監督に大きな影響を与える。アニメーションの他に、多数の実写映画作品や小説も数多く手がける。主な作品に、「機動警察パトレイバー」「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」「Avalon」「イノセンス」「スカイクロラ The Sky Crawlers」など多数。