「【第1回】日立の地銀向け勘定系ソリューションでオープン系展開が本格化」はこちら>
日立の勘定系オープン化に向けて新チームを結成
―― 佐々木さんが始めた勘定系のオープン化の投資開発に山田さんが合流したのですね。
山田
2008年当時、製品事業部と一体となりオープン勘定系基盤の開発とメインフレームの勘定系ミドルウェアをオープン化している最中でした。その開発の見通しが立った2011年に私は金融の地銀担当へ異動しました。2012年に静岡銀行さまから情報提供依頼があり、2013年に静岡銀行さまのプロジェクトをキックオフしました。
提案活動では、Linuxの話やハードとストレージのご提供の話をして、「ミドルウェアはできています。アプリケーションはこれからです」というご説明もしました。バンキングハブ(営業店や他行ATM、インターネットバンキングなど各種外部システムと連携するシステム)相当のモノはまだなかったので、「バンキングハブと業務アプリケーションを刷新して共同開発しましょう」と提案しました。
佐々木
日立を選んでいただけたのは静岡銀行さまの非常に大きな決断だったと思います。私たちがご提案した内容はまだ動いていなかったのですが、一応モノもあり動かそうと思えば動かせる、と自信を持ってご提案ができたのはよかったです。ちょうどアプリケーション開発も始めたタイミングでした。
―― 山田さんがオープン化に参加した時の勘定系の現場はどのような状況でしたか?
山田
私は最初からオープンをやってきて、ミッションクリティカルな証券取引所の売買システムもやっていたので、オープン化への自負がありました。それまでの知見を活かして次は勘定系システムでオープン化をやるぞ、とワクワクしてモチベーションも高かったです。製品事業部を含めオープン化の経験があるメンバーが勘定系もやる流れで、すでにチームのようなものがあり継続して仕事ができました。その下地を佐々木さんに作ってもらったので、とてもやりやすかったです。
佐々木
よい人を集められないとできないので、頼りになるメンバーを集められて正直助かったというか、「本当にオープン化ができる」と思いました。当時の上司に決断してもらったおかげで、社内のさまざまな部署から設計ができる優秀な人たちを出してもらえたので、それは頼もしかったですね。メインフレームと同等の信頼性、性能を継承するためには、オープン基盤の開発がとても大切だと思っていたので、人材が揃って基盤がしっかりすれば、あとはなんとかなるだろうと思っていました。
日立がめざした勘定系オープン化の実現
――勘定系初のオープン化製品でLinuxを採用したのはなぜでしょうか?
佐々木
Linuxはベンダーが責任を持てる範囲が広く、周辺システムでLinuxの障害解析機能の作り込みもやっていたので、日立として責任を持ってご提供できる自信があったのが大きかったです。ほかのOSよりも継続性があることも理由です。
山田
日立もHI-UXというUNIX OSを出していましたし、2000年頃からIBMのAIX(UNIX OS)をミッションクリティカルな分野で適用しています。日立にはAIXのソースを修正できる権利と技術があり、日立独自の「高信頼オプション」を付加したうえで証券取引所の売買システムを稼働させており、その延長線上にLinuxがありました。
日立のオープン勘定系基盤では、Linuxにも独自の高信頼オプションを入れてメインフレームの勘定系システム相当の信頼性を担保しています。
―― メインフレーム相当の信頼性の担保について、もう少し詳しく聞かせてください。
山田
メインフレームについては、日立では「垂直統合」といって、ハードやストレージから上位のアプリケーションまでを日立が見ることで安全性や堅牢性を担保しています。オープンでもメインフレームと同様に安全性や堅牢性を継承する必要があったので、OSにRed Hat Enterprise Linuxを採用し、さらにサーバーやストレージ回りのRAS(信頼性・可用性・保守性)機能を強化して、信頼性を継承しました。
佐々木
技術屋としては100パーセントと答えるのは難しいのですが、日立が中身を分るようにできているので、そういった面で高信頼性は担保されたと思います。
―― オープン化の際に特に難しかった点はありますか?
山田
メインフレームなら1台ですべてが賄えるものの、オープン化ではサーバーの分散化が必要です。オープン化基盤や制御ミドルでサーバー間の整合性を取ることや一貫性を保証する部分はメインフレームよりも難易度が高く難しかったです。また、バッチやシステム運用、SI運用についても、一極集中で一元管理できるメインフレームに比べオープンでは難しい部分があり設計には苦労しました。
B'OPの肥後銀行さまには、オープン基盤の開発で製品不良の摘出がありご迷惑をお掛けしましたが、お客さまからも「オープンでなんとかやるぞ!」と叱咤激励をいただきました。本番稼働の時は本当に眠れず、眠れないのでずっと会社にいました。
佐々木
勘定系のバッチシステムのオープン化経験はありましたが、勘定系オンラインでオープン基盤を動かすのは初めてで、営業店リハーサルなどで品質の確認は十分やってきたものの、やはり本番稼働当日はドキドキしましたね。
山田
OpenStageを共同開発した静岡銀行さまでは、業務アプリケーションの開発・刷新と、システム基盤のオープン化を同時に実現する高いハードルがありました。まずは先に述べたオープン勘定系基盤のアーキテクチャとその特性を踏まえて、業務アプリケーション構造をどう刷新するのか検討しました。例を挙げると、勘定系業務のコンポーネントの配置や粒度について、システムから分けるシステムコンポーネントにするのか、システム内で分けるアプリケーションコンポーネントにするのかが課題になりました。静岡銀行さまの意向に合わせて、どうしたらオープン勘定系基盤上で最適な構成と機能配置でアプリケーション構造刷新が図れるのかを、連日銀行さまと協議して取り決めたことを思い出します。
また、アプリケーション開発・テスト後の周辺システムとの連動テストで品質課題が発生しました。これを解消するためにお客さまと日立で一体となってテストパターンの洗出しからテストの実施、品質向上・評価を積み上げていきました。
佐々木
周辺システムが他社製のため、日立で接続仕様を押さえきれなかったことが一因だと思い、勘定系を他社リプレースするプロジェクトの難しさを感じました。
山田
私は外部センター含めた周辺システムと接続するバンキングハブを中心に担当しましたが、先に述べた周辺システムとの連動テストや統合ATMセンターやCAFISセンター、全銀センターとの接続試験を段階的に行い、本番稼働時のサービスイン前に大きな課題もなくつなぐことができました。もちろん達成感もありましたが、それ以上に期待と緊張、不安が入り交じり眠れなかったことが記憶に残っています。
―― B'OPとOpenStageの稼働時を振り返り、「眠れなかった」と語る山田。しかし、この苦労が実り、B'OPとOpenStageに次いで、これまでメインフレーム上で提供していたイオン銀行さまの勘定系システムも基盤のオープン化を果たしました。
「【第3回】人材育成から見る日立の勘定系ソリューションのDNA」はこちら>
佐々木典将(ささき・のりまさ)
株式会社日立製作所 金融第一システム事業部 シニアエキスパート
1986年に入社後、大森ソフトウェア工場・金融システム部員として勘定系システム開発を担当。2002年からは金融システム事業部でNEXTCAPソリューション本部本部長など含む地域金融機関向けの勘定系システム開発の取りまとめに従事。2023年より現職。本ソリューションの原点である「EXPERT」から現在の3スキームに至るまで日立地銀勘定系事業に従事しており、日立の『ミスター勘定系』ともいえる、過去も現在も未来も語ることができる貴重な人材である。
山田勇一(やまだ・ゆういち)
株式会社日立製作所 金融第一システム事業部 金融ソリューション本部担当本部長
2001年に入社後、2011年まで銀行営業店システムや証券取引所売買システムの基盤SE担当や取りまとめなどに従事。その後、2012年から現在まで、金融ソリューション本部に所属。日立基幹系オープン基盤、バンキングハブ、勘定系ミドルウェアなど、主に基盤~制御ミドル~チャネル接続の開発の取りまとめを経て、2023年より現職。現在は、主にOpenStage事業の取りまとめとして他行展開推進を図るとともに、日立基幹系オープン基盤のパブリッククラウド化に向けた検討を推進している。