治療中断の実態を把握し、治療再開を促す支援事業
長野県の支援事業ではまず、レセプト(診療報酬明細書)の記載内容を基準に日立がまとめた疾病や病期などに関する前提条件を野田氏がチェックし、協議を通じて各項のより精緻な定義を確立。そのうえで国保連がKDBから抽出した対象者の匿名加工データについて、野田氏のアドバイスをもとに治療中断が患者さんに及ぼす影響などを分析しました。さらに、分析結果を野田氏がそれまでの研究結果と照会しながら再度検証。こうして得られた情報を取りまとめ、長野県側に報告するといった作業を重ねていきました。
このプロジェクトに携わった日立製作所 研究開発グループ ヘルスケアイノベーションセンタの大﨑 高伸は、「データ分析を通じて、糖尿病の治療を受けた人のうち、どんな人がどの程度治療を中断しているのか、治療中断した人がどの程度重症化し、医療費を負担したのか、といった実態を把握したうえで市町村に提供することによって、市町村の受診勧奨業務を支援することが本事業の目的でした」と支援事業の狙いを説明。分析作業の完了後には、中断者の特徴や中断の要因、治療再開に必要な情報を取りまとめた報告書を作成し、各自治体や保健事業担当者の活動を支援する資料として長野県に提供したほか、県や市町村、保健所が参加する研修会を実施しました。
治療中断や重症化の傾向を明らかにした広域データ分析の価値
長野県の事業について野田氏は、「このプロジェクトを通じて、医療機関単位では把握できなかった『どういう人が中断しやすいか』『どういった人が重症化しやすいか』といった傾向が、県レベル、あるいは、複数の市町村で構成される2次医療圏レベルで明らかになりました」とその成果を説明。これまでの研究を通じて把握していた事象について、データの裏付けが取れたことも大きな収穫だったと言います。
こうした結果から望まれるのは、治療中断対策に広域データを活用する動きが広く全国に波及していくことです。野田氏もこの点について、「多くの自治体が保健事業に積極的にデータを活用していこうという目標を掲げています。しかしそれを実践しているところはまだ多くないので、こうした取り組みはこれからさらに広げていくべきでしょう」と期待を寄せます。
なお現在、福井県でも日立の「糖尿病治療中断に関する要因分析・勧奨」ソリューションを活用した国保ヘルスアップ支援事業「糖尿病重症化予防プログラム事業」が進行中です。また、日立は2017年度から栃木県が推進している独自の糖尿病重症化予防プログラムにも、AIを活用した保健事業支援サービスを提供しています。
さらなるデータ活用が切り開く「個別化医療」の可能性
長野県の支援事業ではデータ分析で得られた結果などをもとに、健康面だけでなく、経済負担なども含めた治療中断による多面的な影響を分かりやすく伝えることで、中断者に治療再開を促す受診勧奨資料も作成しました。その意義について野田氏は、「根拠のない単なる咤(しった)激励では、自治体や患者さんの心を動かすのは難しいものですが、数値的なエビデンスがあることで説得力は格段に高まります」と説明。さらに「病気に関する情報に自らアクセスしていた意識的な人だけでなく、そうではない、本来情報を伝えるべき人々にもこうしたツールでアプローチできれば、中断者に治療再開を促す強い働きかけになるはずです」とその効果に期待を寄せます。
人間でのデータに基づく医療と予防医学の創出をめざす一般社団法人 日本糖尿病・生活習慣病ヒューマンデータ学会の代表理事も務める野田氏は、医療におけるさらなるデータ活用を推進していく立場です。「21世紀に入ってから医療は飛躍的に進歩していますが、1人ひとりの患者さんにとっても最適な医療というのは、厳密な意味ではまだ解明されていません。臨床試験や臨床研究のデータをもとに、いわば標準化された治療方針に沿った医療を、医師の経験にも基づいて提供しているのが実情です」とその現在地を指摘します。
しかし今後、医療におけるデータ活用が進んでいけば、「血糖値やBMI(Body Mass Index)※1など膨大な個々人のデータをもとに、各人に最適な医療を提供する個別化医療の精度がさらに高まるはずです」と野田氏。個別具体の事象から合理的な原理を導く、帰納的なアプローチによるオーダーメイドな医療が進展していく将来を見据えます。
医療の専門的知見とデータ分析技術の相乗による価値創出
長野県の支援事業に際して、野田氏は月例会議などを通じて9か月間あまり日立と濃密な協議を重ねました。「印象に残るのは、高度なデータ解析力とメンバーの皆さんのデータ分析に対する情熱です。日立の方々は医学や医療に関するリテラシーも非常に高く、長年にわたる医療分野での豊富な経験と蓄積を感じました」と語る野田氏は、現在ベンダーごとに個別化している電子カルテなどの医療IT基盤に関して、日立にはもう一歩踏み込んだ標準化の取り組みを期待したいと言います。
一方、日立の大﨑は「あるデータが医療現場でどのように生まれ、どのように使われるかという視点がなければ、そのデータを適切に解釈することはできません。私たち技術者だけでは理解の及ばないことが多々あるなかで、野田先生とご一緒できた今回の支援事業は大変意義のある取り組みでした」とプロジェクトを振り返ります。
現在も福井県で国保ヘルスアップ支援事業に参画している日立は、支援事業を通じて育んだ技術やノウハウを生かしながら、関連サービスの全国自治体への展開をめざしていく方針です。そしてこれからも、新たなソリューションなどの開発・提供を通じて、保健分野やより広範な医療分野におけるさまざまな課題の解決に取り組んでいきます。
医学博士 野田 光彦 氏
国際医療福祉大学市川病院 教授
糖尿病・代謝・内分泌内科
1978年3月、東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。1984年3月、東京大学医学部医学科卒業。1989年11月、自治医科大学助手。1995年4月、アメリカコーネル大学Visiting Professor。2000年6月、東京大学医学部附属病院糖尿病・代謝内科助手。2001年4月、朝日生命糖尿病研究所主任研究員。2004年1月、虎の門病院内分泌代謝科部長。2005年8月、国立国際医療研究センター部長。2015年11月、埼玉医科大学内分泌・糖尿病内科教授。2019年4月、国際医療福祉大学市川病院教授。2020年10月、日本体質医学会賞受賞。
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